【全釣り人が抱える問題】我々の世代がそろそろ気付いてケジメをつけよう

V.I.SOUL

2025年、初投稿になりますw

2024年12月から現在にかけて、風の影響により釣行中止が相次ぎ、自然の流れに身を任せる日が続いています、、、

そんな中、自宅から車で10分圏内の現場で、あるターゲットを釣っています。そのターゲットとは、「◯◯か〜、別に興味がないな〜」と敬遠?していた魚。

それがひょんな事から「勉強がてら釣ってみようか〜」と、風の影響が少ない地元で夜な夜な猛修行中。一番近い現場は、自宅から車で1分ほどww

ただ、一年で一番水温(一桁台)が下がり、魚も人も活性が激下がりになる状況下では、もちろん一筋縄ではいかない。

この針の穴を通すような状況の中、アジャストできれば釣り人にとても馴染みのある魚が釣れる。かなり変態じみた領域で、めっちゃ勉強になるので没頭中。V.I.SOUL的には新領域なので、どう繋がっていくのか未知の世界だが、どこかのタイミングで共有できればと思っています。

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我々釣り人が抱えている“本質的で逃げられない問題”

今回の記事は、少し宗教的?な表現・感覚的な内容になると思います。ただ、この世界で生きている限り、全ての人が多かれ少なかれ様々な宗教に依存・影響を受けていると、、、

それと、雲をも掴むような壮大な題目なので、抽象的でとりまとめのない話になる可能性が大です。なので、興味がない方は離脱をおすすめします^^

さて、前置きが長くなりましたが本題です。

日本人は元来、自然と調和し、季節の移り変わりに同調しながら、人も自然循環の一部と認識(無意識レベル)し、必要な分だけ感謝しながら動植物を採取・採捕してきました。

しかし、明治維新以降、欧米列強の大きな波に飲まれ、過度な近代化が進み大量生産・大量消費・大量廃棄が当たり前に。

釣り場に溢れかえるゴミゴミゴミ

そのもっともたる縮図が、ゴミ問題でしょう。最近お世話になっている釣り場で、いつの間にか捨てられたゴミ。おびただしい数のタバコのピンカスがあり、偽善者ぶってすべて回収しました。

が、結局は焼却され埋め立てられるので、本質的にはなにも解決していない。おそらくゴミを捨てる人も、その本質がわかった上での所業かと個人的には思っている。

本来釣り場ではない漁港などでポイ捨てし、立ち入り禁止になる一番の原因ではないでしょうか。その行為を地元の人に注意されると逆ギレし、さらにトラブルが拡大するという負の連鎖、、、

我々メーカーが生み出したアイテムも、根掛かりすれば回収不可能なゴミと化す。そこも重々認識しているが、今後どう折り合いをつけるか日々模索中、、、、、

昨今、金融資本主義のコマとして人ですら商品となり、自然界のあらゆる物質も、そこから生み出されたモノすべて商品となる、、、お金お金お金、、、、、w お金が悪いと言っている訳ではない^^

元来、土地(地球)は誰のものでもなく、そこにある資源もみんなで共有できた社会だったが、力ある者が独占(侵略)し、富と権力を拡大しながら他人を資本の肥やしにする、素晴らしい世界へと変貌。

この揺るぎない構造が多大な環境負荷を生み出し、自然界やそれに依存している我々をも蝕み続けている。

そう、金融資本主義構造の手の内で転がされている我々は、背に腹はかえられないため自分で自分の首を絞めている状況であーる^^;

国、大企業、それらに続く零細中小企業も、環境負荷低減をうたった演出的なテコ入れはしているが、本質的に解決しようとするところはほぼ無い、と思っている。

経済が右肩上がりに上昇すれば「我々の生活はもっと豊かになる」というお花畑理論は、とうの昔に破綻していると、、、

今後インフレは加速し、あらゆる理由で増税、緊縮財政が続く可能性が高い。多くの人はそれに応じた収入の増加は見込めず、さらに馬車馬のように働かなければならない。

そんな状況で、「持続可能」とか、「自然循環」とか、「環境負荷低減」など言ってる余裕はなく、自分や家族のために一生懸命頑張るしか無いのでしょう。

今の日本の現状は、日本人含め関係している人の集合意識で構築されているので、身から出た錆と言ってしまえば終わりだが、、、

「もっと便利に」「もっと楽に」「もっともっと」と、欲望を追求し続けた我々に回ってきたツケとでも言いましょうか、、、、、

「そこに魚がいる」という大前提

人の終わりなき欲望。

我々釣り人は「爆釣ー」「入れ食いー」「デカいー」など、終わりなき欲望に支配されていますw その欲望こそが、釣り業界を成り立たせている一番大きな力、と言っても過言ではないでしょう。田中的な解釈だと、釣り人の意識が欧米化(西洋化)している。冒頭でも述べた、本来、日本人が持つ自然思想が消された状態。

この欲望は釣り人の理性を崩壊させ、魚の群れを駆逐するまで続くほど強大です。

例えば、誰かが外浦沖に太刀魚の群れが入ったのを見つけると、翌日には100隻以上の船(遊漁船やプレジャー)が集結し、我も我もと三日ほどで太刀魚をほぼ壊滅させれます。昔は田中もこの意識だったが、その経験を糧に今は軌道修正しました。

今や各所で激減(小型化)しているメバルも、瀬についた群れを船サビキで駆逐しようと思えばできます。気候変動などの影響も否めないが、釣り人の欲望がそうさせた要因は大きいでしょう。メバルがいなくなればもっと沖へ、そこがいなくなればもっともっと沖へ、これが今も続く終わりなき欲望です。

ただ、人それぞれの価値観(正義)があるのは理解しています。

遊漁船を営んでいるのに、「メバルめっちゃ釣れてます!」「でも10匹釣ったら終了です」「ひとり12,000円ですがどうですか?」では、今の意識じゃお客さんは来ないでしょう。10人満船でみんなクーラー一杯「大大大爆釣!!!」とアピールできれば、比較的簡単に集客できるかなと。

「持続可能」だとか「自然循環」なんて、綺麗事は言ってられない。田中が同じ立場でもそうなるかな、、、

ただ、瀬戸内海のど真ん中界隈では、40年前、30年前、20年前、10年前、現在、と感覚的に比較しても、やはり魚の絶対数は減っていると思います。カサゴ、メバル、タチウオ、シログチ、アナゴ、カレイなどなど。一部、青物などの回遊魚は年ムラはあれど増えてる?諸説あるが、アコウ(キジハタ)も増えたかな〜??

まぁ何が言いたいかというと、釣り人の欲望を満たすことだけを考えていると、近い将来ドン詰まり状態になる可能性大。もうすでに、ドン詰まり領域に達していると思っている。

上辺だけじゃなく本質的な意味での「持続可能」「自然循環」という課題から、逃げられない局面に差し掛かっていると、、、

「釣り道具」「釣り方」「釣り場」「釣果」などの情報ばかりに意識が行き、一番大切な自然、そこにいる魚がないがしろされていると感じる。

魚は、海底からポコポコ無限に湧いてくる生き物ではない。自然循環の範疇で、魚は有限なのである。

釣りすぎるといなくなり、いなくなれば「釣り」は成立しない。五歳児でも理解できるレベルだ。一番、根源的な法則で、変わってはいけない法則なのに、我々はそれを変えてきた、捨ててきたのだ、もしくは、見てみぬふりをしてきたのだ、、、

「自然循環の範囲内で持続可能な釣り」といっても、量る物差しはなく曖昧。釣り人一人ひとりが、感覚的に理解するしかないのかもしれない、、、、、現代人はその感覚が退化しているので、厄介極まりないのだが^^;

解決策があるとすれば、各々が無意識レベルで何に依存(価値観)して釣りをしているか俯瞰・認識し、「はっと我に返る(冷静になる)」。その依存度が、魚が釣りたいだけなのか?自然に寄り添ったものなのか??前者なら、価値観を変えなければならない大局面に差し掛かっているのではないでしょうか。

魚が釣れまいが、一匹しか釣れまいが「足るを知る釣り方」という価値観のもと、各々が自然に寄り添えれば明るい未来があるのかも、、、一匹いっぴき、感謝しながら釣りできれば良いですね。

こんな事を強く考えるようになった大きなキッカケが、2024年11月に九州一周行脚で九州の現状を目の当たりにした事。お時間あれば下記リンクをご閲読ください^^

この記事を書いてる本人が、メーカーの代表だとは「なんだかな〜」という面持ちです、、、、、

四国香川県は“こんぴらさん”に初のご参拝へ

そんなこんなで、思考回路が180度転換したタイミングで、かねてからご参拝を切望していた金刀比羅宮(ことひらぐう)へ行ってきました。

2025年1月10日、自然な成り行きでご参拝が決まったこの日は、新年最初の縁日「初こんぴら」だったので、凄くすごーくご縁を感じた次第です^^

とある県に遠征に行った帰りにご参拝する流れだったが、山越えの高速道路が雪で通行止めだったため、朝の10時からのぼりました!

あいにくの天候だったので、初縁日にも関わらず人はまばら、、、

とてつもなく急な階段を想像していたが、思ったほどではなく、、、、、

スイスイ、

スイスイスイと、

中間地点の金刀比羅宮「御本宮」へ

あっという間に785段の階段をのぼり、「御本宮」へ到着。普段から動ける體作りを意識しているので、ここまでまぁまぁ余裕だった。

今までたくさんの魚を釣らせていただいた事、深く感謝させていただきました^^

みなさんここで、大漁祈願旗(3,000円)を買うみたいだけど、恐れ多くて買わなかった、、、

ここから更に上を目指し、ドンドンのぼっていきます!爆風のため空気中のちりが飛び去り、讃岐平野、讃岐富士が一望でき、田中のすさんだ心が綺麗になった感覚w

人氣はもっとまばらになり、若干、険しい雰囲気になったご参道も、スイスイヒョイヒョイとのぼっていき、、、

これまたあっという間に、本来の目的地に到着。全1368段もの階段をのぼった感覚はなく、體は全然余裕だったので「オレまだまだ行けるで」と自画自賛^^

奥社と言われている「厳魂神社」へ

金刀比羅本教の教祖である「厳魂彦命」が祀られている「厳魂神社」(いづたまじんじゃ)です。

自分や家族、スタッフさんや関係性のある人が、日々、健康に安全・安心で暮らせている事。今までたくさんの魚を釣らさせていただいた事、深くふかーく感謝させていただきました。

ここでしか手に入らない“天狗御守”を、ご購入させていただきました!御守りのヒモは、白か赤の2種類あったけど、迷わず赤で!!全部の作りが日本人的で、最高の御守りでした^^v

ご参拝を終え、なんかね〜、、、心の中がス〜として、自分の行くべき道筋がハッキリではないが、見えているような氣がしている、、、、、

あなたもぜひ、日頃の感謝の念、自然や魚への感謝のためご参拝くださいね^^

最後に

本記事を書いて、いち釣り人、釣具メーカー代表として逃げられない領域に踏み込んだ事、十分理解している。

道具こそ進化したものの、本来「釣り」は人として根源的な尊い行為。生命を維持するために必要な分の魚を釣って食べる、もっとも原始的かつ本質的な生業だと思う。

そんな事を言っても、現代では趣味・娯楽・道楽という括りなので、理解されないと思うが、、、

何が正解かわからないし、正解なんてないと思うが、田中としては「本題目」に折り合いをつけるべく行動する時期に差し掛かったかなと、、、、、壮大な矛盾との戦い^^v

あなたはどう感じていますか?ご自分の中で問うてみてください。自然と魚をこよなく愛し、釣りを楽しめれば良いですね。

いつも最後までお読みいただきありがとうございます〜^^

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